│六郷のかまくら│



蔵開き

 正月十一日(現在は二月十一日)は、”蔵開き”(鏡開きともいう)の日で、地主では元旦からこの日まで蔵の米だしをやめるが、その蔵開きである。蔵の前の据え膳してお灯明をともし、取手のある大きな鍵を供えて拝むのである。商家では生紙を横二ツ折りにして厚さ五〜六センチ位、表紙をつけて麻糸で綴った新帳面と書かれる。土蔵の扉を開き大福帳を供え一年の繁昌を祈念するのがしきたりである。

 
 
 
天筆

 また、子どもたちはこの日”天筆”を書いて翌日にそなえる。
 天筆のこしらえ方は半紙を横に三ッに断ち、これを長く継ぎあわせ、長さは各自の好みによるが三メートルから五、六メートルである。また白紙ばかりでなく、緑、黄、赤、白、青の順に色紙(天日紙という)を継ぎ合わせて作るものである。また男の子どもが二人おれば二本、三人おれば三本と男の子どもの数だけ作り、女の子どものは立てないなわらしであったが、今は女の子どもの分も作る。そして”天筆”にかく文句はいろいろの例があるが次にその二、三をあげてみる。

(一)奉納歳徳大明神天筆和合楽地福円満楽々々…新玉の年の始めに筆とりて万の宝かくぞあつむる 何年正月吉日 氏名 年令 敬白
(二)奉納鎌倉大明神天筆和合楽地福円満楽々々(以下同じ)

 いろいろの例があるが、初めには必ず”天筆和合楽地福円満楽”と書き最後には前記の和歌一首を書く。そして長いものになると、”日月清明楽、五穀豊穣楽、天下泰平楽、国家安康楽、家内安全楽、商売繁正楽、富貴長命楽、学問向上楽”といったようなものもある。昔の寺子屋教育時代には習字の手元に”天筆手本”というものがあって、それを習わせたものだとのことであるが、今はそんなものはないからいろいろと変化し、最近では”交通安全楽”というものまである。この”天筆”は”吉書””書初め”であって、子どもたちが自分のものは自分で書き、自分で書けない幼年者のものは父兄が代筆し、十五日の夜”かまくら”に持っていって焼くのである。  今は、公民館主催で”天筆席書会”をやったり、各学校で”天筆書き”を指導し、”天筆まつり”をやっているので全町的に立てられるようなった。
 十二日”十二日市”が開かれ、十五日の小正月年越しの準備の日で、露天市では十五日に神仏を供える”メメンコ(ネコヤナギ)”を買う風景も見られる。またこの日から、”天筆”を長い青竹の先につけて戸外に立てるが、全町の数千本の天筆が寒風にヒラヒラなびくさまはまことに壮観である。

 
 

鳥追い行事

「正月どごまできた  クルクル山のかげまで  何おみやげもってきた  松とゆずり葉と  デンデン串柿もってきた  あしたの晩 かまくらだ  大根ど牛蒡ど煮でおけ」  十三日あたりから”とり小屋”と称する”鳥追い小屋”作りが始まる。その中に”鎌倉大明神”がまつられ、子どもたちは互いに鳥小屋を訪問し合い、鳥追い唄を歌って過ごす。

  鳥追い唄
  「ホーイホイ
   鳥追い ホーイ
   いちばんにくい鳥こ
   烏と雀
   尾羽切り 首切り
   塩俵さ ぶちこんで
  佐渡が島さ
   追てやれ 追てやれ

       ホーイホイ」

 鳥追い小屋と呼ばれる雪室は雪を四〇センチから五〇センチ位の厚さに四角に積みあげて、天井に茅を編んで作った簀か筵をのせて雪室を作る。横手の”かまくら”のように屋根が雪でないのは、子どもたちが中に入って一晩中炭火をたいてもガス中毒をしないように考えたわれわれの祖先の生活の知恵である。十五日夜”竹打ち”に前後して子どもらはこの中で甘酒を飲みモチを焼いて食べたりして遊ぶが、これは竹打ちの激しさとは対象的な「静」の世界。幻想的な雪国の風情が漂う。
 十五日になると小正月の餅つきがはじまるが、”柳メャダマ(柳まゆ玉)”を作って神棚を飾るがみごとである。まゆ玉は”餅花””団子花”ともいい、柳の小枝にまゆ玉の餅をつけてつくるがこれは稲の穂をかたどったもので神棚や米俵の上にたて、稲作の豊かな年であることを祈願する。
 また、”かまくら”の準備も進み各町内の”かまくら本部”の前などは、雪の神殿が作られ太竹が林立して戦気がいよいよ充満してくる。

 
 
 
天筆焼き(ドンドン焼き)・竹打ち

 十五日。いよいよ”六郷かまくら”の最高潮”天筆焼き””竹打ち”の日である。
 全町の各家庭から集められた正月の注連飾りや大麻、神符や門松を町の中央の諏訪神社前の”かまくら畑”にまとめ、中に垂木で二立方メートル位の”釜”を作り藁を入れて松鳰を二ツ折り、二ツの間に注連縄を張り”かまくら”の準備ができあがるのであるが、その形は丁度、二見ガ浦の夫婦岩のようである。
 午後になると各町内本部前の街頭で若い衆によって”力餅”の餅つきが威勢よく行われ、やがて午後六時頃になれば「ボヘーボヘー ボヘー」と不気味な”木貝”の音が、まだ残雪も深い北国の田舎町の夜の静寂を破って鳴りひびく。
 七時頃「ボヘー ボヘー」と木貝が鳴り続けて浅春の闇を揺すり丘に反響し、山を越えて闇の虚空に尾をひいて消えていく。すると今までねむったように沈黙していた町の中が急にざわめきだし、各町内本部で必勝祈願出陣式をおえた若い衆が、足ごしらえも凛々しく息を切って、三、四人で青竹の長い束をかついでかけ出していく。若い娘っ子たちも、子どもたちもみな町の西方、諏訪神社前の”かまくら畑”に走り出す。そこで六郷名物の”竹打ち”がはじまるのである。
 ”竹打ち”は全町を南軍、北軍の二手に分けての竹のうち合いで、一人で二、三本ずつの青竹を持参し、折れれば新しい竹ととりかえる。この夜使用される竹は三千本に及ぶといわれる。六郷は竹の産地でないので遠く宮城県、岩手県から地元の竹屋がトラックで仕入れてくる。
 八時半頃両軍対峙の息詰まるような沈黙が破れると、場内は人間と竹の修羅場となり、バラ、バラ、バリ、バリという竹の打ち合い、割れる音、相手をなぐりつけるかけ声、ライトのあかりが雪に青白く映じて血みどろになって奮戦する竹の勇士を闇の中に浮き出し”しっかり、しっかり””がんばれ、がんばれ、反れ行け”と娘っ子たちまで大きな声で声援し、その間ひっきりなしに木貝が吹き鳴らされている。
 やがて九時頃”ボヘー”とひときわ高く木貝が鳴りひびけば、神宮が鎌倉大明神を勧請した松鳰をお祓いしこれに点火して三回目の決戦が行われる。
 終われば同じ町の人たちである。今まで打ち合いした勇士たちは握手しながら松鳰のまわりに集まり”今年も豊作であるように”と念じながら割れ竹で御神火を打ち合い、焔は火柱となって立ち火の粉のように空に舞い昇って消えてゆく。
 そしてこの竹打ちで北軍が勝てば豊作、南軍が勝てば米の値があがるといい伝えられている。
 ”天筆”を焼き、竹打ちが終わって家に帰れば楽しい”とり小屋””鳥追い”の行事にうつる。習俗と生活は変転しても、とり小屋の中のローソクの灯が雪の壁を青白く照らしてわれわれの遠い祖先の穴居生活を想わせる雪祭りである。
 ”六郷かまくら”は古風な行事をそのまま残しており、わが国の庶民信仰など風俗慣習を知り得る典型的な行事である。









六郷のかまくら

この十二、十三日より男童門の雪にいろいろつぎまぜたる神幡を、それに吉書天筆和合楽と書いて高竿に附しておし立て木貝桶貝吹き鳴らし、かくて十五日になれば門松、注連縄など歳の餝を束ねて諏訪の社近き雪の上にて焼きあぐるなり。此処にても久保田風に釜蔵といへり。神泉苑に出してやきあがるというも是なり。
 三毬打、爆竹また、信濃にて道祖神笑ふもおなじ此火高竿の幡もちあうのさまは竿立て月影を測るためにひとしまた皇都にて吉書上るというもひとし。いづこも正月の年のためしはいささかかわれど凡そおなじもの也、雪あるに飛灰の身にかからぬ様に傘さえささえ見る男女多し。此の菱花びらをやくといういみ辞あり。

 貞柳戯歌に
  拝殿にのぼりて見れば
   けぶりたつ
  御宮のどんど賑にけり
 是は都のことながら、諏訪のみやしろ近ければ意通りおもしろし
真澄遊覧記「月の出羽路」六郷高野の巻きより
文政十一年正月

 
 


│ROKUGO TOWN│

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